今日は12月30日。今年もあと2日です。
日本人は年末ギリギリまで働いているのに、年末にやることが多すぎるよね?年賀状とか、掃除とか。
個人的にも、たまってることがいっぱい。(このコラムも.. .汗) かくして私の場合、ゆっくりできるお正月に、年内にやりきれなかった掃除や、ピアノの練習をしてるのが毎年の恒例。無人と化したマンションで、のんびりと。これはこれで、けっこう快適です。
さて、今回は「バンドを始めて変わったこと」第二弾。 前回のコラム(Vol.11)では「絶対音感を失いつつある」話をしたが、「第二弾」は、自宅練習をしなくなったこと。
以前は、ライヴの前は毎日、仕事の合間も暇さえあれば練習し ていたのだが、今は殆どやらない。
一人でやってもつまらないし、ノリも出ないし、第一ベースが鳴ってないと自分が何をするのか、よくわからなくなる。 これは前回のコラムの内容と重なるのだが、以前は頭の中に譜面があって、たとえ無意識にでも、それを通して弾いていたと思う。
ところが今は、頭の中に譜面がないことが多くなった。だから、相手がいないと自分が何をするのか思い出せないのだ。
こうした変化を全て「衰え」ではなく「成長」だと思っている 私は、かなり都合のいい人間ではあるが(笑)、実際バンドと いうのは、あまり生真面目に練習なんてするもんじゃない・・ ・と、私は思う。 もちろん、ヘタなのも間違えるのも、こなれてないのも良くない。 でも、あまり練習すると「練習したとおり正しく弾きたい」ということに集中し過ぎて、自分の世界に入りすぎてしまう 場合がある。
これは良くない。
「決めたとおり」のことをやって自己満足していても、ライヴとしていいものとは限らない。
こういったことは、アンサンブルである以上、クラシックのオーケストラなどでも同じだと思うが、多分クラシックの人はそ こまでeasyでaboutな境地には至ってないだろう。(別に私の方が上だという意味ではないですよ!)
人それぞれ、本番をベストな状態にする為の「自分にとってのやり方」があるのだろうけど、私にとっては、これに気づいたことが「一歩前進」なのだ。
こうして「衰え」だけでなく「怠慢」も「成長の証」にしてしまう、やはり都合のいい私なのだが・・・(笑)ファンキーな ロックになると鍵盤を打楽器のように扱う最近、「適当にその辺のキーを」「手に任せて」叩き、偶然2つのキーが同時に鳴ったりするとサマになったりもする。 これを譜面にドレミで表すのは無理。 たとえ実際に鳴らした音を正確に記譜したとしても、それを見てそのとおり弾こうとしてもカッコよくはならな いんじゃないかな。
・・・と、まだまだ修業中の私の、ちょっと生意気な話でした。
来年もバンドマンとして(ウーマンだけど)修業に励みたい と思います。
ARN関係者の皆様には、今年も何かとお世話になりました。 来年もよろしくお願いします。
更新が遅くなってごめんなさい!
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